プロフィール【だい】

はじめまして。根無草ろぐを書いている、「だい」と申します。現在、アメリカのテキサス州オースティン在住で、現地企業のData Scientistとして働いています。

来歴

幼少期

千葉県佐倉市出身。姉2人の5人家族。強烈な姉に囲まれたからか、大人しい性格でした。

3歳のときに父親の仕事の都合で、中国・北京に家族に引っ越しました。当時は日本語の幼稚園がなかったので、kindergarten(英語の幼稚園)に入れられ、英語の英才教育(笑)を受けてました。

小さい頃は語学力の伸びがすごかったらしく、日本語でカタカナの言葉を言うときも完全にネイティブの発音になってたとか…傍から見ればかなり腹立つガキでしたが、今思えばこの頃の英語力がピークでした。

小学校は日本人学校にいったので、残念ながら中国語はニーハオ・シェイシェイしか喋れないという残念なトリリンガルです。

 

小学校4年生で日本に帰国し、それからは地元の公立学校に通いました。地元の方言で「〜だべ。」という言葉を友達が使っていたのが印象的で、小さいながらにもとんでもない田舎に来てしまったんじゃないかと不安になったのを覚えています(失礼)。

夏はカブトムシやらクワガタ採取したり、ザリガニ釣りにいったり、田舎ならではの遊びをずっとしてましたね。一応東京から一時間くらいなんですけどね…

中学高校

これといって運動も勉強もぱっとしなかったので、中学では入学早々クラスの2軍ポジションを確立(バスケ部だったのに)。

もちろんそんな2軍選手に特に大きなイベントも起きるはずもなく、平和すぎる中学時代はあっという間に終わりました。

唯一ピアノが弾けたのと、毎日寝癖のまま学校に行っていたので、「ピアノが上手くて寝癖がある人」という記憶だけは残すことに成功してました。(引用:同窓会の友達の発言より

ちなみに幼少期に培った英語力はすべて失い、中学1年生でまたABCから英語を勉強しました。今考えても勿体ない…

 

高校では心機一転オーケストラ部に入り、バイオリンを始めました。入部してするまで知らなかったのですが、全国屈指の強豪校だったので練習が死ぬほど大変でした。土日祝日練習は当たり前で、休みはテスト前とお盆とお正月のみ。音大に行く人も多く、高校時代の友達がMステやら紅白やらでバックで演奏してたりします。

男女の比率が1:9くらいの部活なので、最初は色々期待しちゃったりもしてましたが、練習に追われていつのまにか音楽一色の高校生活になってました。

もちろん忙しいなかでも高校生は高校生なので浮ついた話がないわけではなかったのですが、詳しい話はまた別のエントリーで…(逃)ちなみに、母校のオーケストラ部が舞台になった漫画が出ているので、ぜひ読んでみてください。

 

部活引退後からスイッチが入りがっつり受験勉強をしました。それまで全く勉強していなかったこともあり、勉強スタート時点の偏差値は言えないくらいのレベル(40未満だYO)でしたが、模試ごとに着実に成績を上げ無事大学に合格。上智大学理工学部に進学しました。

大学

上智といえば英語。「社会に出たら上智生は全員英語を話すことを期待されている」という誰が言い始めたか分からない迷信に振り回され、ESSという英語サークルに所属しました。

更に大学2年の夏休みを利用して、University of Pennsylvaniaにて1ヶ月の語学留学に参加。

1ヶ月留学したくらいでは、ほとんど英語力は向上しなかったのですが、そこで出会ったMBAの学生に、「アメリカの博士課程(Ph.D.)に進学すれば、お金をかけずにドクター取れるよ」という話を聞きました。

これがまさに、僕の人生の方向性をガラっと変えた瞬間でした。

 

日本に帰国してから、TOEFLやGREなどの試験勉強に加え、本やネット、無料でやっているセミナーなどに参加して大学院留学の情報を集めました。

周りに海外の大学院に進学しようと思っている人もいなかったのですが、ありがたいことに研究室の教授に色んな面でサポートして頂きました。

そのおかげで、Texas A&M Universityの大学院博士課程(Ph.D.)に進学が決まりました。大学院留学に関する詳しい話は、他のエントリーに書く予定です。

大学院

College Station市という、名前の通り大学しかない街で5年間の大学院生活を送りました。

大学がマンモス校(学生数約7万人)だったので、街はそれなりに大きかったのですが、あくまで学生街なのであまり娯楽もなく研究に没頭した5年間でした。

アメリカの大学院は研究をすることで学費と給料(生活費)が貰えるので、自分の出費をすることなく研究に集中できる、非常に恵まれた環境でした。

ここでも指導者に恵まれ、面倒見の良い教授と研究室の仲間たちに助けられ、なんとか2018年8月に博士号を取ることができました。

大学院生活に関する詳しい話は、他のエントリーに書く予定です。

 

卒業後に日本に帰ることも視野にいれ、ボストンキャリアフォーラムに参加したりしましたが、一度帰国してしまうとビザの関係でアメリカに戻ってくるのはなかなか難しいので、結局現地企業で働き始めることを決意しました。

アメリカには新卒採用のようなものは存在しないので就活は難航しましたがが、ここでも研究室の先輩の力を借りてリファラル(推薦)してもらい、無事最初の仕事を見つけることができました。

 

そして現在

大学院を卒業して一度転職を経験し、現在はE-commerce系の現地企業にてData Scientistとして働いています。2018年末にテキサス州オースティン市にて妻と出会い、2020年8月に結婚しました。

平時だったら教会や裁判所で宣誓をするのが通例らしいのですが、当時アメリカ(特にテキサス)ではコロナが猛威を奮っていたため、裁判官とZoomでリモートというなんともシュールで令和なスタイルの結婚式を挙げました。

結婚後は海外旅行はおろか、日本にすら一度も帰れていないので、ハネムーンらしいこともできず、お互いの両親にもまだ会えずにいます…早くパンデミックが収まって、新婚らしいことをするのを楽しみに頑張ってます。

 

趣味

昔は、ゲームや音楽(ピアノ・バイオリン)などインドアな趣味がほとんどでしたが、テキサスに来てからやることがないからかアウトドアの趣味が増えました。最近は、

  • キャンプ
  • 釣り
  • ハイキング
  • ボルダリング
  • テニス(見るのもやるのも)
  • 旅行
  • ウクレレ

などなど、幅広く浅く色んなことをやってます。ちなみにテキサスに来た日本人はアウトドアの趣味が増える人が多いです。アメリカは広大(テキサスだけで日本の2倍の面積!)でなかなか気軽に国内旅行ができないので、近場でアウトドアを楽しむ人が多いんだと思います。

 

このブログについて

留学やアメリカでの仕事・生活を通してそれなりにユニークな経験をしてきたので、せっかくならそれをアウトプットしたいと思いブログを始めました。

僕からは、理系学部での留学経験・海外生活・アメリカでのキャリア・投資などに関する記事を書いていきたいと思っています。

妻はまた違った角度から記事を書いていくそうなので、少しでも皆さんのお役に立てるような記事が書けるよう2人で頑張ります!